苦しまないお弁当作りを長く続ける

お弁当作り、気がつけば11年たっていた

 

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息子①へのお弁当作りも

気がつけば11年が過ぎていた。

 

大したことを成し遂げていないわたしだが

お弁当作りはかなり積み上げたキャリアがある。

来年には

もう、

息子①にお弁当を作ることもないだろうから

残りの時間を楽しもうと思っている。

わたしにとってお弁当作りは

ルーティンでもあり

クリエイティブなことでもあり

新しいことを知る機会でもあり

楽しみでもある。

ここ数年は

体調を崩しているので

昔みたいに

毎日違うお弁当。

新しいメニューに挑戦する。

などということができない日も増えたが

いつも、お弁当作りを

苦痛に感じない様にやってきたと思う。

わたしのお弁当作り

わたしは

冷食も使うときもあるし、

残りものを入れることもあるから

そういうお弁当なんて良くない、って人からは

手抜きの人になるのかなぁ。

 

インスタに並んでる豪華なお弁当

高価なお弁当箱

高級な食材を見ると

羨ましくも感じれないくらい

自分とは違う世界だなぁと

しみじみ思う。

 

お金はお金が好きなんだ、と

裕福な知人に聞いたのを思い出す。

 

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ご覧のように

わたしのお弁当は至って普通だ。

 

過去に

アメブロやラインブログを使っていた時は

普通っぽさや親近感を感じてくれた人から

よくコメントを頂いた。

お弁当、作って欲しいです!

とか、よくあったけど

頼めそうなくらい

身近なお弁当だと思ってもらえたなら

嬉しい。

 

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ごはんを作ること、食べることは

日常であり

ホッと一息できる良い時間であり

生きていることに感謝できる簡単な魔法だ。

 

難しく、人生を考えなくとも

美味しいと幸せだし

嬉しく、楽しい。

食べることを考える時母を思い出す

わたしの母は

もう何年も寝たきりである。

意思疎通はできないし

全く自分では動けない。

ごはんはもう、口から食べられないから

鼻腔栄養で生きている。

母は

おしゃれやメイクが好きで

流行りの美味しいものや

定番の美味しいものを愛し

働くことが生き甲斐の

ワガママな人だった。

体が不自由になって働けなくなり

母は一度死んだ。

その後

病気が悪化して

食事を楽しめなくなって

再び死んでしまった。

人は、自分の楽しみを失うと

死んだも同然の状態になるんじゃないかと思う。

食べることは

生きることだし

幸せを感じられる一部なんだと思う。

 

お弁当は

大抵は外出先で食べる。

学校や会社が多いのかな。

 

わたしの息子①に作るお弁当は

励ましというか…応援というか。

お弁当箱の蓋を開けたら

ちょいハッピーになれることを目指している。

好物と定番。

これがわたしのお弁当作りのキモである。

 

好きな人や家族や

特別な人に作るごはんは

作り手も幸せだし

食べてくれる人も幸せにする。

 

その買うを、もっとハッピーに。|ハピタス

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ABOUTこの記事をかいた人

ソロで生きる人が集まるコミュニティひなた主宰。ゆるく横に繋がります。 名古屋生まれの名古屋育ち。 趣味は映画館通い、空を眺めること。 紙もの、家庭料理愛好家、ブロガー。