※日常の日常は、『日常は奇跡の連続』でできていると思うわたしのエッセイです。
何も参考にはならないですが、読みものとしてお楽しみ頂けたら幸いです。
手作り弁当のもつ特別な意味

お弁当に思うこと
わたしは、お弁当には普段の食事とはまた違う特別な意味があると考えている。
さらに、誰かに作ってもらったお弁当にはもっと意味があると思っている。
わたしが息子らにお弁当を作り始めたのは、息子らが中学生の頃から。今だに作っているので、かれこれ10年以上といったところか。
生きていると楽しいことと苦しいことが様々起きる。学校でも会社でもいろいろある。
そんな時、お弁当は良い役割を果たす。気持ちが上がらないときなどに、お弁当箱の蓋を開けて、見慣れたおかずにホッとしたり。美味しそうでニコニコしたり。
あ、今日好きなおかず入ってる!とかあー、これ、美味しいなぁ…
などなど。
ちょっとクサってしまった自分の気持ちから一回離れてしまえるのがお弁当の特別なとこだ。
自分を思って
誰かが作ってくれた。
お弁当は、作り手の気持ちも一緒に受け取るものなんだろうと思う。
ごはんさえしっかり食べていたらなんか大丈夫な気がしている

実は、凝ってなくても豪華でなくてもいいと思っている。
わたしなんかは冷食を使うのも全然気にならないしたまには手を抜く。具合の悪かった時期などは、簡単に作っていた時期もある。
あぁ…。あの人もなんか最近大変そうだもんなぁ…。
などと、長男は思いながら食べていたハズだ。そんでも作ってくれるからありがたい。申し訳ないなぁ…
と、静かに感謝していたに違いない。(母の勝手な想像)
わたしには2、3年くらいうつ病と橋本病と若年性更年期が三位一体でやってきた時期がある。この時は、症状に共通点があり過ぎて治療に困った。
この時代は朝起きて朝ごはんを作り、お弁当を作り洗濯をしてから一回寝る。
そして、夕方起きて夕飯を作り、洗濯取り込み、たたむ。それから息子らに夕飯を提供したらまた寝る。
こんな日々だった。
「あの頃、お母さん死んでたね。でも、ごはんだけは作ってたよね。」長男はあの頃を振り返りこう話す。
そうなんだよね。あの頃は、食事さえなんかちゃんとしてたら大丈夫な気がしていたんだよね。だから、最低限ごはんは作る、と自分で決めていた。
朝から晩まで働いて小さい息子らを留守番させていた頃も、ごはんさえちゃんとしていたら息子らの心は壊れない。と、勝手に思っていた。
まあ、息子らがどう感じていたかは分からないけどね。
祖母の影響

わたしは祖母に育てられたが料理好きな祖母は、わたしに毎日美味しいごはんを作ってくれた。
祖母にしてみたら父親を知らず、いつも1人の孫が不憫だっただろう。厳しいけど優しくよい祖母だった。
祖母の料理は、わたしの方をいつも見ていた。料理に気遣いがある人だった。
その点では、わたしは非常に幸せな子供だったんだろう。だから、息子らにも祖母にしてもらったように自然にできたんだろうと思う。
手料理って、あなたのことを気にしていますよ。という、作り手の思いも込みだと思う。
毎回、感謝して欲しいとかでは決してない。普段、気がつかないことなんだけど、実はそうなんじゃないんかな?と言いたいのです。😊
重い、ウザいと言われそうだけどお弁当は誰かから誰かへの気持ちが詰まっていると思うんだよね。
良いよね。手作りのお弁当って。
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