未熟児網膜症だった息子と子育てさんぽ 1

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未熟児網膜症だった息子と子育てさんぽ 1

 

わたしは、かつて

984gで息子を出産し、重度の未熟児網膜症になってしまった彼と一緒に

「人生のさんぽ」をしてきた。

振り返れば昔の事とも言えるし

長いトンネルの中を、必死に歩いてきた気もするし

そんなに深刻にならない様に

のん気さも持ち合わせていた気もする。

 

 

先に、現在の息子の様子を書くと

今、彼は、大手車メーカーの特例子会社に勤務し、正社員として働いている。

 

健常者の通う地域の保育園、小学校、中学校を経て

昼間定時制の高校を卒業し、すぐに障害者職業訓練校に入学した。

訓練校には、寮があったのでそこに入り

Webデザイン科で学んだが、全く関係ない会社に就職している。

現在も、悩みながら働いているが

自立できたのは、彼の努力のたまものだと思っている。

結局、親なんてなんもできないのである。

子供の心のそばにいる事しかできないのである。

それは、息子を育てていて実感していた事だった。

 

早産体質だったわたしは超低出生体重児を出産する

 

息子は、早産だった。

妊娠24週目で破水し、緊急帝王切開で生まれた。

わたしは、彼の前に男の子を死産していて・・・

切迫早産で入院中に陣痛が起き

分娩台に運ばれてから出産したものの

その子はまだ小さく、窒息死してしまっていた。

立ち直るまでには、自分の中で自問自答を繰り返し

なかなかしんどい時間を過ごした。

実際に、子供は自分の元にはいないのに

おっぱいは出てくるのである。

これには本当に神経をやられた。毎日、泣いていたのを覚えている。

 

だけど、時の流れは大事なのである。

毎日を過ごす内に、段々と傷は癒され

振り返ってみれば

どんなに辛くても

それは永遠に続かないんだと体感したのもこの頃だった。

後から思えば、

そんな事があったんだから

もう少し気を付けるべきであったのだろうが・・・

病院でさえ、わたしが早産体質な事に、全く気が付いていなかったのであった。

 

前回は残念だったけど、今回は大丈夫です!

(産婦人科の先生は断言していたので、わたしはそれを信じていた。)

 

だが、緊急帝王切開で産まれた息子は、すぐにNICUへ運ばれていった。

わたしは、全身麻酔で出産したので

それを知ったのは、麻酔から目が覚めた数時間後であった。

ダンナから、984gの超低出生体重児と聞いて

全く何にも考えられなかったのを覚えている。

息をする事を忘れてしまう位に小さな息子だったが

先生の説明だと、医学が発達して、未熟児で生まれても障害がほとんど残る事無く

元気に成長するから大丈夫です、という事だったので

わたしはあまり、心配していなかった。

この段階では。

 

 

出産後、2週間位で退院したわたしは、毎日毎日、搾乳した冷凍母乳をせっせと運び

可能な限り息子に面会した。

後に離婚したダンナは、たまに面会に来る位だったので

ほとんど一人で面会に行っていたけど

そーいう人だという事は十分承知していたので

わたしはわたしの戦いを日々やっていくだけだった気がする。

 

1日のほとんどの時間を病院で過ごしていた時期であった。

 

 

先へと続く

 

妊娠とか出産とか

妊娠とか出産とかって

人生で特別な事でもあり

重大問題でもあると思う。

わたしは、若すぎて

気が付いたら妊娠し、出産していたし

子育てをしていた。

元々あんまり頭が良くないので

先の事も考えられないし

目前で目まぐるしく起きる出来事に対して

その都度対応してきた感がある。

 

結婚して、離婚したが

今は良かったと思えるし

この人生で良かったと思っている。

障害のある子を育てる事は

ひと言で簡単に言い表してしまえば

「苦労」がある事だと思うけど

特別な体験であると思っている。

昔を思い出しながら書いているが、本当にいろんな事があった。

子育てさんぽは

まだまだ続きます。

 

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